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2011年11月14日月曜日

綿入れ斑点、あります。

11月13日に子供用の綿入れ斑点8枚を、呉服専門店武蔵屋様よりいただきました。
ご希望の方はお知らせください。

対称:陸前高田市近辺にお住まいで被災された方等

2011年11月8日火曜日

漫画「ゴーガイ!岩手チャグチャグ新聞社 3号目」に吉野正子のインタビューが掲載されています

岩手ご当地漫画「ゴーガイ!」の特集記事「ふんばる!岩手人」の中で、大根コンプロジェクトの活動が紹介され、吉野正子のインタビューが掲載されています(P33)。ちなみに1号目の平泉特集の中ではお菓子屋「吉野屋」がちらっと紹介されています。

2011年11月4日金曜日

ワールドジョイントクラブ(worldJC)に掲載された記事をまとめて紹介します

worldJCは九州のフリーペーパーです。
これまでに大根コンは3回記事になっていますので、まとめてご紹介しますね。
当時は写真を撮らないように心がけていた時期だったので、貴重な写真です。
  
   フォトギャラリー
   「少しでも物資を持っていけば、ひとりの命が助かる」
   「ホッとする気分になりたいとき、私たちの仕事が必要」

2011年9月30日金曜日

高田保育所の遠足の記事が岩手日日に!

9月4日に行われた高田保育所の遠足の記事が岩手日日に掲載されました。大根コンも張り切ってお手伝いさせていただきました。

2011年7月16日土曜日

日本財団の支援活動助成が決定。

日本財団の「東北地方太平洋沖地震 災害にかかる支援活動助成」の対象団体に採択されました。

助成の指定をいただくたび、尊い支援金・助成金を使わせていただけるという大きな責任を感じております。
皆様のご支援をいただき大根コンプロジェクトは、現地の皆様の笑顔と共に、どんどん前に進んでまいります。

2011年6月28日火曜日

Yahoo!JAPANのトップページにケアリングクラウンが載りました。

6/26午後から陸前高田入りしていますケアリングクラウン「トンちゃん一座」の写真がYahoo!JAPANと時事通信社(時事ドットコム)のトップページに出ていますね。
たぶん時間経過とともに記事は替わるでしょうから、スクリーンショットを取っておきましょう。





追伸:ピエロ(トンちゃん)の二の腕に大根コンプロジェクトのマスコットがしっかり付いているのが判りますでしょうか。

2011年6月15日水曜日

きんいろぱん屋さんの記事

高田の保育園・保育所のおやつ供給でいつもご協力いただいている「きんいろぱん屋さん」の記事が東北圏の広域地方紙 河北新報(仙台市)に掲載されました。

2011年6月4日土曜日

赤い羽根共同募金の助成決定

中央共同募金会の赤い羽根「災害ボランティア・NPO活動サポート募金」の第1次応募で助成が決定しました。
http://www.akaihane.or.jp/organization/index2.html

岩手県では7団体が助成決定となり、県南地区では花巻、北上、遠野、平泉(大根コンプロジェクト)の団体が助成決定となりました。

2011年6月3日金曜日

針灸師ボランティア診療の予告記事が掲載されました。

来る6月5・6・7日に予定しております京都三浦鍼灸院さんのボランティア診療の記事が地元紙東海新報(岩手県大船渡市)に掲載されました(6/1日付二面)。
関連情報については、大根コンプロジェクト資料サイト(http://sites.google.com/site/daikonkonproject/)にあります。

2011年5月20日金曜日

針灸師ボランティア出張診療のニュース

4/15~17京都、大坂、滋賀の針灸師さんチームが再度陸前高田にボランティア診療に来てくれました。
そのニュースが業界紙「鍼灸柔整新聞」に掲載されましたのでご紹介します。

2011年5月17日火曜日

5/12の活動とプロジェクトの名付けについて

大根コンスタッフからの報告です。
連休前から続けています陸前高田の保育園・保育所への支援で、今日も行って参りました。
今日はスタッフの鈴木と吉野が手分けしてほぼ全園を回っています。たまたま在庫があって届けに行かなかった所もあります。そういう所でも吉野は次の物資の予定を聞きに丹念に各園を回ってきております。
園に届けるものでは、物によってはその日に作った物を届けなくてはいけない..なんて条件が付く場合もありまして、なかなか大変なのです。
当初からの緊急支援物資の運送作業より、より複雑な仕分け作業が必要となってきています。吉野の本業のお菓子屋さんはそんな作業は馴れたものです。

さて、「大根コンプロジェクト」という名前についてお話しする際に考えてること。
大根コンプロジェクトの名前は、HPにもありますとおり、吉野代表がつくったNHK岩手のみんなのうた「大根コン」からつけたわけですが、この名前は、子供達が私どもを指すときにに分りやすい、呼びやすいから、この名前を付けたということなのです。
「大根コン」には子供達やそれを見守る大人達を元気にしてくれる力を持っていると私達は思っていますが、でもだからといって、この歌そのものを前に出すために名付けたわけではないのです。あくまでも、支援したい子供達の目線に立ったところから名付けたのだということをお伝えしておきたいと思っております。
保育園に支援物資を搬入しているとき、子供達に声をかけられます。私達の腕に着けている「大根コン」のマスコットを見て「あっ、大根コンだー」って声をかけてくれます。この分かりやすさを大切にした名が「大根コンプロジェクト」ということなのです。

2011年5月10日火曜日

5/10新聞記事から

被災地の地元紙「東海新報」の記事をご紹介します。大根コンプロジェクトの本拠地であります平泉町ではイコモスの勧告は大ニュースでありました。

2011年4月27日水曜日

4/27新聞記事から

陸前高田の地元紙東海新報に保育園の報道がありましたのでご紹介します。
(追記)紙面にありますボランティア団体が大根コンプロジェクトです。
紙面には大根コンプロジェクトの名を出さないようお願いしておりました。それは、大根コンプロジェクトが名乗り出ることが復興にそぐわないと判断したからでした。
大根コンプロジェクトが名乗りをあげますと、それは、見る方によっては、園への支援を誇る姿として目に映る場合もあるでしょう。そういう誇る姿として見られたら、本来これらの園を支えるべき行政や団体の方々の熱意を削ぐことになりかねません。
行政はいま未曾有の災害に遭い機能障害に陥っています。私どもは彼らの正式な支えが一日も早く復旧することを願っています。我々は彼らが本来の力を取り戻すまでの間(あいだ)をつないでいるだけなのです。

2011年4月26日火曜日

4/26の活動

大根コンスタッフからの報告です。
今日は吉野3、小野寺、木村さんら菓子職人さん。それと笑顔写真家加藤さんの飛び入り参加。
陸前高田の私立(法人)保育園のお誕生会にあわせケーキを届けました。特に生クリームのケーキがご希望のところは、当日の調製が必須とのことで菓子職人さんが現地に出前しての実演提供となりました。
二便での供給体制で、先発した菓子職人チームはしっかりと仕事を果たしました。後発の園向け物資輸送組は渋滞に阻まれ、ケーキは間に合いつつも米崎保育園で予定していたミニイベントには間に合わずじまい。けれど、物資の搬入作業をしている傍らに子供達が寄ってきてくれて「あ、大根コンだー」と元気な笑顔。
次に、連休を見越した各園へのヒアリングを実施。各園の先生方から物資の在庫状況や来月のお誕生会の予定をうかがわせていただきました。
被災者でありつつも園のために努力されているお姿には本当に頭が下がります。

2011年4月22日金曜日

4/22の活動

大根コンスタッフからの報告です。
今日は吉野、佐藤、小野寺の三人。
主な活動は三つ。
  1. 公立の保育園午前保育に食材を届ける。矢作、長部、高田、小友保育園の4園。
  2. パソコンと通信用データカードのセット三組を陸前高田第六消防団の方々に無償提供。
  3. 公立の保育園の物資供給の遅延を改善するよう、関係機関や隣接の自治体の福祉課に働きかけをする手段を長部地区の荒木さん宅にて話し合いました。
消防団では、たまたまウォールストリートジャーナルの記者の取材に同席でき、大坂分団長の貴重な被災体験を聞くことができました。迫りくる津波の轟音と煙のなか、分団長はじつに多くの人を助けたことも、じつに多くの亡骸を瓦礫の山から救い出したことも、聞かせていただきました。感動の体験談です。

2011年4月20日水曜日

4/20の活動

大根コンスタッフからの報告です。
今日の支援活動は三つありました。
1. 葛西農園の佐藤さんと平泉の金色パン屋さんによります保育園(陸前高田地区、矢作・横田・米崎・広田)への物資支援。
2.  吉野による陸前高田長部地区(菅野個人宅避難所・要谷公民館等)への物資輸送。
3. 吉野2による、米崎保育園で4/26のイベントの打ち合わせ、陸前高田長部地区(双六公民館)への物資輸送、月山神社のおばあちゃん達ご要望の大根コンマスコットづくりのお手伝い。その席では、代表の大根コン生演奏をすることとなり皆さんに喜んでいただきました。

なお、米崎保育園での打ち合わせに隣接して、公立の陸前高田保育園の打ち合わせが行なわれておりました。先生方から開園のメドが立っていない現況を聞き、予算の見通しが付くまでの当面の間、大根コンプロジェクトがおやつ等の支援をお約束することとなりました。
私立と公立ともに、子供達の笑顔が戻ることが復興への大きな足がかりになると信じ、みなさんがんばっておられます。大根コンプロジェクトもそこに注力して支援させていただきます。

2011年4月17日日曜日

4/17の活動

大根コンスタッフから状況報告。
復興ボランティア針灸師チーム、最終日は要害公民館の方々をみて事務局の吉野屋に帰投。

みなさん明るい笑顔。帰路を祝福するがごとくに晴れ渡った空でした。
さて大根コンには次の復興ボランティアの到着です。
追記、被災地の生の情報を、被災した当事者に情報発信してもらうという手段がないかと探すことになりました。

2011年4月16日土曜日

4/16の活動

大根コンスタッフから近況報告。
近畿から復興ボランティアに駆けつけた針灸師さん(猪飼、森田、奥野、坂部)が朝の9時から長部地区二日町公民館にてとして治療を開始。
吉野と長崎は長部地区月山神社に行き支援物資(食料)を木村さんに託す。これらの物資は震災で家を無くし住田町などの内陸地に疎開した人々に配るためのもの。
午後吉野と長崎は、菅野さん個人宅避難所に移動していた針灸師チームに合流し、たまたま居合わせた「NPOみんつな」の三人と情報交換。
針灸師チームは治療の手を休ませることも無く、昼過ぎから長部地区コミュニティセンターに場所を移し、さらに一人は長部地区双六(すごろく)公民館に移動。今日だけでも70名を超える被災者をみたことになります。猪飼さんをはじめ針灸師さん達の、じつに精力的に治療される姿にはほんとうに頭が下がります。

2011年4月15日金曜日

吉野、小野寺、木村-物資補給とボランティア針灸治療サポート

復興ボランティアとし、近畿から針灸師の猪飼さん、森田さん、奥野さん、坂部さんの四名が駆けつけてくれました。初日は月山神社と荒木さん個人宅避難所の二カ所。この日だけで38名の患者をみたことに。
同時に物資補給も長部地区の二日町公民館、月山神社避難所、長部小・コミュニティセンター
、要害公民館、古谷公民館、福伏産直避難所を回ります。その他、住田に転居した被災民達への物資補給。各拠点への配布は木村さんに託します。

2011年4月13日水曜日

プロジェクト代表吉野崇のコメントをアップしました。

大根コンプロジェクト資料サイトにプロジェクト代表吉野崇のコメントをアップしました。
公的な物資補給が届き始まりました現況に立ち、大根コンプロジェクトは新たなフェーズに入りました。もちろん今後も物資補給は続けてまいりますが、同時に被災地の子供達とその親御さん達の心と体のケアーを主眼にした取り組みを始めてまいりたいと考えております。詳しくは代表のコメントをご覧下さい。

2011年4月11日月曜日

4/11の活動

長部小とコミュニティセンターに各避難所用(9箇所)の食材を一括納入。
他、衣類と靴も少々。
他に、15.16.17に実施予定の心と体のケアーに向けて、京都、大阪、滋賀の鍼灸師四名の協力を取り付けた。尚、これらの先生方は操体法の先生方でもあります。

2011年4月8日金曜日

4/8の活動

吉野.鈴木有希.-横田保育園
子供用のおやつ(みかん、バナナ、りんご、牛乳、お菓子)を届けた。次回4/15からの四園分の食材400名分を4/14に届けると約束。
前日の地震の影響で4/8.9は休園のため持参した苺は食材と共に長部小・コミュニティセンターに下ろした。この時に4/14運動療法の約束を取り付ける。

2011年4月6日水曜日

4/6の活動

吉野2.山田-大船渡末崎小.末崎保育園。
立寄先は米崎保育園、久保公民館、末崎保育園、末崎小学校。
米崎保育園で陸前高田の保育園の先生方の会議に参加。広田(児童80・職員15)、下矢作(児童50・職員12)、米崎(児童120・職員20)、横田(児童70・職員15)、竹駒の五園(計児童320・職員62、総計382名)の会議。ちなみに竹駒保育園は流されてしまったので何時開園になるかは未定。その会議では保育園を何時から再開できるかを相談していました。そこで、一日保育ならお昼とおやつ、半日保育ならおやつがあれば開園できるとのお話なので、四園の食材支援を約束。被害の少なかった横田保育園が4/8から開園で、残りの三園が4/15よりと決まる。
次に、華蔵寺隣接の門前公民館、そこでは足りているというので、次に久保公民館に寄る。久保公民館では、150軒分の食材を下ろす。
次に末崎保育園。ここは食材は十分。
次に末崎小学校。食材を下ろし、同時に大船渡の越喜来地区の宮本さんに食材を渡す。
最後に、18:30から大根こんの歌と共に心と体をケアーする運動療法を実施。

2011年4月3日日曜日

4/3の活動報告

矢崎木綿子、静香-230名
敷き布団(20枚)枕(25個)が緊急に必要とのことで支援しました。